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2005年12月

2005年12月11日 (日)

バリのある習慣


(この下にはあるものが埋まっています。)

出産話の続きですが
きららを産み終わった後、そのまま分娩台に2時間ほど
安静に寝かされました。
とは言ってもなんだかまだ興奮していて寝付けず
やっと終わったと言う達成感と安堵の気持ち、
そしてやはり日本の両親の顔が浮かび
「お父さん、お母さんヤッタヨ~!」なんて思っていたら
涙がポロポロでてきてかなり自分で自分に酔っている
状態でした。

そうやって酔いしれたまま夫マデと長女のエリナが
待っている病室に戻り、しみじみとゆったりとした時間を
家族につきそってもらいながら皆で過ごすつもりでした。
病室に戻ると夫マデが「よく頑張ったね、ありがとう。」と
声をかけてくれそこまでは良かった。
フッとマデの手を見ると何やら黒のスーパー袋をぶらさげている。
その中には何が入ってると思いますか?
私をねぎらうためのお菓子やジュースではありません。

実は私ときららをつないでいた胎盤なのです。
バリの病院では当たり前のように出産後、
家族に胎盤を手渡してくれます。
マデは私にねぎらいの言葉をかけてくれた後そのまま
その胎盤を持って自宅のあるウブドへそそくさと
帰っていきました。
そうだったぁ、バリにはあの習慣があったんだぁと
一人取り残される私・・・
それはバリでは胎盤を自宅の決められた敷地に埋める習慣が
あります。大人になって家を離れても、いつまでも自分の
家を忘れないように、心でつながっていられるようにという
思いが込められているそうです。
そしてその埋めた場所には毎日お供え物を捧げます。

ちょっとグロテスクな説明で申し訳ないですが
胎盤を埋める前に、血で染まった胎盤をきれいに
洗わなければなりません。その仕事は夫であり父親である
マデの役目です。胎盤はレバーのような感じなのですが
洗う時に(気持ち悪い、オエ~)などと決して思っては
いけないそうです。
でも、そうすることによって(私にとってはそうされることに
よって)家族の繋がりをとても感じました。

ただ、私がもしマデの内臓系の何かを洗えと言われたら
できるだろうか・・・ごめんマデ、多分できない。

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2005年12月 6日 (火)

新家族誕生!!


(きららです。よろしくお願いしま~す♪)

お久し振りです!!
我が家に11月17日に女の子の新家族が誕生しました。
名前はカデ・キララ(ここは日本名)プルナマサリです。
プルナマとは満月と言う意味があり
前々からこの名を付けることを決めていたのですが
きららはそれを承知しているかのように
見事に満月の日に生まれてくれました。

今回も長女のエリナの時と同じ産院で出産しました。
予定日を過ぎてもまだ陣痛が来なかったので
落ち着かない日々を過ごしていたのですが、陣痛が来てからは
あれよあれよという早さで出産できました。

満月の日は産気づきやすいということを、以前に聞いた事が
ありますが、実際に私が分娩台に上った時も
両隣の妊婦さんが陣痛クライマックスといった感じで
分娩室は「アドゥー(インドネシア人のおたけび)アドゥー」の
大合唱。もちろん私もその中の一人で負けじと叫んでいました。
あの痛みはほんとにほんとに痛い。
やめれるわけないけれど、もう産むの辞めますって
言いそうになるくらい。
いきみの許可が出た時は嬉しくて
誰に言っているのか「ありがとう、ありがとう。」と
泣いてしまいました。

何はともあれ、無事に出産を終えることができ
良かった、良かった。
相変わらず産院も快適で病院食もおいしく
相変わらず産後1泊で「バグース」(良好!!)と
お医者様から退院許可が出て翌日には自宅に戻りました。

これから年子の育児が待っるぞ~。
体力勝負でやるしかない!!




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