祖母との別れ
昨日の朝、実家から電話が入った。
いつもと違った父の声。
それは暗いのではなく、
やけにキリッと力強くたくましい声でした。
遠い故郷の家族の状況は
だいたい受話器から聴こえる電話の第一声で
「おっ、元気そうだな。」 「何かあったな。」
「体調悪いな。」などと判断できるようになりました。
昨日も何かあったなと察し
それは祖母の訃報であるだろうことも直感で分かりました。
母方の祖母とは私が小学校6年生まで同居し
その後も密に接してきました。
両親とも働いていたので、
私の幼少時代は祖母が母代わりのように育ててくれました。
昨日から祖母との思い出が次から次へとあふれ出し
思い出しては涙ぐんでいます。
今春、家族で帰国した時に
すでに病床であった祖母に面会し
その弱った姿を見て
(次の里帰りの時は会えないかもしれない)という
覚悟ができ
祖母の手をしっかり握り
「ありがとう、おばあちゃん」と言えたことが
今の私に落ち着きを与えてくれています。
90歳と10ヶ月、大往生と言えるでしょう。
祖母の訃報を
夫マデの実家に伝えると
一緒に喪に服してくれました。
(バリでは家族に不幸があると特別なバンタン(お供え物)を
作り、不浄とみなされお寺もしばらくは入れません。)
義父母が「ナオミの祖母だって自分たちの家族だから。」と
言ってくれ、
その言葉は悲しみの心の中に
温かい雫を落としてくれたようでした。
気丈であんなに元気だった祖母が
触ると折れそうなくらい、痩せ細り
寝起きも、食事もひとりでできず、
しゃべることもままならない。
そんな状態が2年近く続いたので、
あの行動派の祖母は
今頃やっとこれで自由になれたよと
喜んでいるだろうな。
子供の頃、
「おばあちゃんもいつか死ぬと?
死んだらいかんよ。寂しいけん。」
と毎日のように心配で祖母に言っていた時期がありました。
祖母は
「死なんよ。ナオミが大人になって幸せな顔を
見せてくれるまではね。」
と答えました。
だからあの頃私は大人になるとおばあちゃんが死ぬので
大人になりたくないなと思っていたな・・・
晩年の祖母の老いた姿を見て
哀しさと寂しさを覚えました。
だけど、生きている限り
いづれ、両親にもそして私にもやってくる「老い」。
生涯を終えるとき
「幸せだった。ありがとう。」と言えるよう
そして周りの人に言って頂ける様な
生き方をしたい。
「あなたの孫でいられて幸せでした。
ありがとう。おばあちゃん。」






















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